SGLT2阻害と心血管リスク
2型糖尿病はインスリン抵抗性を基盤として、高血圧、脂質代謝異常などのメタボリックシンドロームと深く関連しています。その結果、動脈硬化の惹起と心血管疾患の発症促進、さらには生命予後の短縮にまでつながる病態です。また、糖尿病は糖代謝を中心とした多臓器と連関した病態であるため、それぞれを標的とした治療薬をその病態に合わせて選択することができます。 過去の研究では厳格な血糖低下療法は細小血管障害の発症を抑制することが示されていますが、大血管障害をはじめとした心血管アウトカムの改善が十分なエビデンスにより証明された糖尿病治療薬は少なかったりします。その理由として、基礎研究とは異なる臨床研究独特の被験者の不均一性や試験デザインそのものの違いなど排除しきれない交絡的な影響が常に存在していることなどがあげられ、糖尿病治療による心血管アウトカムの改善作用の有無にはいまだ議論が多いのも事実です。
一部の糖尿病治療薬による心血管リスク増大の懸念事例を受け、欧米では新規の糖尿病治療薬の承認に際して心血管系への安全性を評価するアウトカム試験を2008年から義務づけています。その結果、それ以降に上市された新規の糖尿病治療薬を対象とした心血管アウトカム試験が近年相次いで報告され、糖尿病治療における重要なデシジョン・メイキングの一部となっています。
SGLT2阻害薬は近位尿細管での主要な糖再吸収機構であるSGLT2を選択的に阻害し、尿糖排泄を増加させ、インスリン非依存的に血糖を低下させる機序の血糖降下薬です。同薬は、良好かつ安全な血糖降下作用をもつと同時に、ナトリウム/糖利尿によるヘモダイナミック作用に加えて、体重減少や血圧低下、血清尿酸値の低下、内臓脂肪減少などの複合的なメタボリック経路を介したインスリン抵抗性の改善作用など多面的な効果を有することから、包括的な心血管保護的作用が期待されています。欧米ではすでにその糖代謝改善作用に加えて、肥満防止や心血管危険因子の改善作用など心血管疾患の予防効果が高く評価され、糖尿病治療における地位が確立されつつあります。
その一方で本邦では、上市当初から脱水や尿路/性器感染症などの安全性に関する懸念が生じた結果、いまだ限定的な処方に限られているのが現状です。
EMPA-REGOUTCOME試験では、心血管疾患をすでに有する高リスクの2型糖尿病患者7,020名が登録され(ベースラインのHbAlc8。1)、 プラセボ群、エンパグリフロジン10mg/日or25 mg/日群に無作為化され、中央値で3.1年の観察が実施されました。
HbAlcは開始後12週間でプラセボ群との差が最大-0.54%であったが、その後徐々に差は縮小し、206週の時点では-0.24%でした。主要評価項目である3P-MACE(心血管死、非致死性心筋梗塞非致死性脳卒中)のリスクはエンパグリフロジンにより14%の減少が認められました。また、副次評価項目である心血管死のリスクを38%、総死亡を32%減少させ、さらに心不全入院のリスクを35%それぞれ有意に減少させ、大きな注目を集めました。その一方で、心筋梗塞や脳卒中などの大血管障害の発生に有意差は認められませんでした。
また、サブグループ解析では、65歳以上、アジア人、BMI30 kg/㎡未満の集団においてエンパグリフロジンの有効性が明らかとなり、従来SGLT2阻害薬の理想的な適応と想定されていた欧米の中年肥満患者と実際にはやや乖離しており、日本人における有効性を期待させられる結果であったとも考えられます。
心血管疾患が糖尿病患者の主要な死亡原因であることは十分認識されているのに比べて、糖尿病と心不全が相互に連関している事実の認識はこれまでやや低かったのかもしれません。
実際にはインスリン治療を受けている糖尿病患者1万人あたりの入院原因は、心筋梗塞(97人)や脳卒中(151人)と比べて心不全(243人)で高頻度であったと報告されており、糖尿病治療において心不全はきわめて重要なターゲットと認識されるべきです。そのため、EMPA-REGOUTCOME試験 において心不全入院のリスクが大きく減少したことは非常に大きなインパクトを示しています。
EMPA-REG OUTCOMEでは登録時に心不全と診断されていたのは約10%の被験者にとどまっていたのですが、サブ解析によりエンバグリフロジンは心不全患者における増悪・再入院を抑制しただけでなく、登録時に心不全の既往が明らかでない被験者における心不全アウトカムを有意に改善、つまり心不全の新規発症を抑制している可能性が示唆されました。
しかし、登録時の心不全の診断に明確な診断基準は示されておらず、心不全の既往がないとされていた患者群には潜在的な拡張不全例や無症候性例などが一定数含まれていた可能性も考慮されるため、比較的初期の心不全に対する治療効果が推察されました。この心不全に対する効果は浸透圧利尿に由来するマクロでの体液量減少がまずは作用し、その後徐々に血管伸展性の改善や血圧低下、交感神経系の不活化、酸化ストレスの減少などのミクロな作用が影響しているのではないかと推定されています。
現時点ではSGLT2阻害薬が動脈硬化の進展を抑制し、心筋梗塞や脳卒中などの大血管疾患を抑制できるというエビデンスは存在しません。むしろEMPA-REGOUTCOMEでは、脳卒中の発症が増加する傾向が示されています。この結果に対してSGLT2阻害薬の薬理作用がどのように影響しているかは現時点では明らかにはなっていませんが、大血管疾患への影響を計るには現行のアウトカム試験の試験期間は短すぎるのかもしれません。legacy effect (遺産効果)への期待も含めて長期間の観察により答えが得られる可能性もあり、今後の研究に期待したいところです。そこで、大血管疾患の主要な中間マーカーである冠動脈石灰化スコアや頸動脈IMTなどを指標とすることでその効果を検証しうるエビデンスにつながると期待されます。